ハロウィーンの夜に



 お気に入りのワンピースを着る。スクエアネックの黒いベロアのワンピースは、彼女の一番のお気に入りだった。
 パフスリーブの先は蜘蛛の巣が描かれたレースの袖がこれでもかと広がっている。胸下で一度絞ったスカート部分も相当な布量がある。
 胸元にはレースのチョーカーを合わせて、頭にはサテンで出来た薔薇と、袖と同じ蜘蛛の巣柄のレースのヴェールをあしらったカチューシャも。
 今日は年に一度のデートの日。

 カチ、カチ、カチリ!時計の針が3本共重なって、日付が変わる。それと同時に恋人のギルが窓から顔を出した。
「久し振りだね、ローザ。今年も君は一段と美しいよ。」
「会いたかった。ギル…待ってたんだから。」
 ゴスロリファッションのローザをしっかと抱き締めるギルは、満足そうに笑みを浮かべている。反対にローザは感極まって涙を浮かべていた。
 ギルは涙に濡れる頬に触れ、大粒の雫をそっと指先で掬い取り軽くキスを落とすと、丁寧にカールされた長い髪を撫でた。
 二人は仲間内でも公認のカップルで付き合い始めてから5年が経とうとしている所。誰もが羨む仲睦まじい恋人同士の二人は、どこへ行くのも一緒だった。
 学生時代には授業を抜け出してカフェで飽きることなく語り合った。週末には映画にだって行ったし、ペアのピアスを買って互いに送り合った。
 理想のカップル。それが、ギルとローザ。
「私、美味しいって噂のケーキショップで、あなたの好きなチーズケーキを買ってきたの。」
「ね。幾つだと思ってんの?健全な18歳の男が久し振りの彼女と会ったらする事なんて、決まってる。」
 ドレスアップした恋人の唇をやや強引に奪う。腰を抱いていた腕はボディラインに沿って滑り降り、蜘蛛の巣レースに覆われた下肢へ伸びようとしていた。本当はこのまま溺れてしまうのも悪くはないのだろうけど…
「あ、待って。ギル…両親が…」
 その一言で我に返った飢えた狼は、漸くそれ以上に手を進めることをやめた。
「――わかったよ、うん。コーヒーを貰える?」

 勝手知ったる…という言葉があるがその通り、ジャケットを自分でクローゼットへしまいながら、まるでロミオとジュリエットだ!と彼は相変わらず大袈裟に言う。ギルとローザの家は隣り合っているが親世代の仲は余り良好とは言えない。当然二人が交際しているなどと知れたら、全力で引き剥がしにかかるだろう。
 ギルは早々に、遥か遠方の大学を選んで家を出ていた。自分は隣家のお嬢さんなんて見向きもしません、というアピールのつもりだ。…時折戻ってきては、ローザの部屋へ忍び込むのだけれど。
 ローザの部屋の前には大きな枝の張り出した木が植えられている。木を伝ってコッソリと顔を出した恋人と語らうその様は、確かに恋物語の一片のようだった。
「映画はどう?」
 コーヒーとケーキを手に戻ってきたローザが問う。ベッドに腰を下ろしてクッションを抱えた、寛ぎスタイルのギルは頷く。
「いいね。何を観るの?」
「私はシザーハンズが良いな。」
 二人は音楽の趣味も、服装や嗜好品の趣味も似通っていて、映画を観にいっても喧嘩になることはない。大抵の場合、観たいものは一致していた。
 パンクバンドのポスターが飾られた壁際に置かれた小さなテレビの周りには、散らかったチープコスメや流行りのスナック菓子、マニキュアのボトル。雑多なそれらを端に追いやるのをギルが手伝い、テレビ画面に映像が流れる。部屋の照明を落として、心持ち音量を下げてから、ローザもベッドに腰を下ろす。
 クリスマスが似合う映画を二人、手を繋いで眺めた。他者と打ち解けて、認められたい、愛されたい主人公が空回りする様も、悲しい思いばかりする彼を優しく愛するヒロインも、繰り返し観た所為で台詞さえ覚えている。
 でも、そんなことは問題にならない。二人で同じものを見て、同じ時間を過ごす喜びを、ギルは感じていた。隣を見れば、まだクライマックスに至らないのにローザは泣いていた。

 映画を観て、感想を話し合い、マグカップのコーヒーが空になる。いつの間にか眠ってしまっていた。
 朝方まで話し合い、眠ったと思う。窓の外は、日が沈み始めていて青みがかったパープルに染められ、揺れる木々のシルエットが黒く塗りつぶされている。
 寝起きにもう一杯、とローザは自分用とギルの飲み残したマグカップを持って立ち上がる。
 随分と疲れていたのだろうか、半日も眠ってしまうとは。ギルはひとりごちた。彼女が褒めてくれた立ち襟のシャツもシャドーストライプのベストとパンツも皺くちゃだ。ジャケットを早々に脱いでいたのは正解だったと思う。
 小振りのパンケーキとコーヒーの載ったトレイを手に戻ってきたローザは、笑いながらシワ取りのコツを教えてくれた。
 彼女のパンケーキはいつも、たっぷりの生クリームとチョコレートで華やかに彩られていて、初めて出された時には食べるのがもったいない!と驚いたことを思い出す。
「今日はどこへも行かなくてよかったの?大好きなハロウィーンだし、ローザと居られればそれでいいんだけど…いつも、大通りのカフェで限定メニューを食べてたじゃないか。まだディナーには間に合うだろ?」
 ローザは、パンケーキを口に運びながら少しだけ、声のトーンを落として返事をする。
「黙っていたことがあるの。」
 カチャン、と皿の上に放り出すようにやや乱暴に置かれたフォークが抗議の声を上げる。ローザは俯いたまま、顔を上げるでもなく何か迷っているように歯切れの悪い、なんとも言えない声色で告げる。
「もう、あなたに逢えないの。ギル…」
 やっと顔を上げたローザの目は潤み、必死で泣くのをこらえている、といった様相だった。
 突然のカミングアウトに一瞬、息が詰まった。彼女はそんな嘘をつくようなタイプじゃないとわかっている。目を白黒させながら必死に理解しようとするギルは、彼女の肩を軽く掴んで息を呑む。
「ローザ、どうしたんだよ…俺が嫌になったのか?」
「…今年で、18歳のハロウィーンは、10回目なの。」
 赤いリップで彩られた恋人の唇から零れ落ちた言葉に、ギルは驚きを隠せない。聞き返す言葉も出なかった。時が止まったように身じろぎ一つせず、二人きりの部屋は耳が痛くなるほどに静かだった。
 体感では5分――いやもっと長かったように思うが、実際の時間は解らない――もっと短かったのか、ローザは続きを語り始めた。
「あなたが死んでから、もう10年になるの。私、明日結婚するのよ。あなたを忘れたわけじゃないし、嫌いになったわけでもないの。けど、同じくらい、大切に想う人ができたのよ…ごめんなさい。ごめんなさい、ギル…」
「――泣かないで、ローザ。君を責めるつもりはないよ。」
 魔法が溶ける。ローザの告白で、ギルの目に見えていた世界は本来の姿に戻っていく。
 教科書やルーズリーフの載った学習机は近代的なパソコンデスクに。本棚のティーンファッション誌と少女漫画はビジネス誌とドレッサーに。目の前の恋人は少女の姿から、成熟した大人の女性に変わる。先程一緒に観た小さなテレビと、その上のパンクバンドのポスターは消えて、壁には見たこともない大きくて薄いテレビが掛かっていた。
 あの日の、彼女の面影を残した女性は、自分の愛する人の10年後の姿だと理解して驚きつつも、ふ、と笑みを浮かべて言う。
「やっぱり君は、幾つになっても美しいよ。」
 大粒の涙を流して何度も謝るローザを抱きしめた時、ギルは自分が実体を持たないことにも気が付いた。辛うじて『元』恋人を抱きしめることはできているけれど、これ以上は何かに干渉できないのかもしれない。だからこそ、あれほど溺れた夜の行為も外出もなかったのだ。
「あなたは、交通事故で死んでしまった。私に会いに来たばっかりに。ハロウィーンの日、映画を観にいって、テーマパークに行こうって話してたの、覚えてる?」
 10年前のハロウィーン。リバイバル上映のレトロなホラー映画を観に行く約束をしていた。お互いに、ハロウィーンらしく、お気に入りの服でデートをしようと約束して、待ち合わせた。
「あなたが立っていた大通りのモニュメント、あそこに飲酒運転の車が飛び込んできたの。私の、目の前で。来るな、って、叫んで。」
 それ以上は、語らなくていい。わかっているんだ。目で訴えかけるギル。
「私の真横を、猛スピードで車がすり抜けていって、私は転んだだけで済んだけど。車は…あなたを、押し潰した。」
 自分の死の瞬間を、鮮明に思い出す。待ち合わせは大通りのモニュメントの前で、彼女が駅の方から歩いてくるのが見えた。その後ろのロータリーから危険な運転の車が猛スピードで迫ってくる。進行方向と重なっているのに、ローザはそれに気が付かない。来るな!と叫んで、その場から動き出そうとした時には遅くて。暴走する車に弾き飛ばされたあと、モニュメントの台座とバンパーに挟まれた。
「君が無事だったことにホッとしてる。…好きな人ができたんだね。10年も、引きずらせてごめん。」
 壊れた振り子のように首を左右に振るローザを宥めながら更に言葉を続けようとする。だが、自分自身もとうとう、ダムが決壊したように涙が溢れて、話すどころではなくなってしまった。
 二人は抱き合いながら泣き続ける。二人の出会いから、未来の予定まで様々な事を口にして。
 恋が実った日のこと。仲間内で冷やかされながらも、嬉しくて仕方が無かった。
 ローザが好きだというブランドのショップへ行って、誕生日プレゼントを買った話。レディスアパレルのショップで少し恥ずかしかった、なんて微笑ましい裏話がついてきた。
 ハロウィーンの日が好きだといったローザの為に、カボチャをくり抜いてランタンを飾った話は、虫が湧いて酷い目にあったオチもついてくる。
 一緒に映画に行った日は興奮冷めやらぬままカフェで何時間でも感想を語り合い、日が暮れるまで話題が途切れることはなかった。
 互いの両親が仲が悪いと言うだけで近付くなと叱責されて納得がいかず、駆け落ちを企てた話。
 初めてひとつになった日。結婚を約束して、お揃いのピアスを開けた。いつか、立派なエンゲージリングを買ってみせると約束した。

 もっと触れたかった。いつか結婚して、二人の子供を育てたかった。新しいゲームをやろうって約束は果たされていないし、ペアの指輪を贈る事も叶わなかった。
 何度も話した二人の、幸せな、小さな約束は叶えられなかった。悔しくて、悲しくて、仕方ない。
 でも、彼女と出会えた事には満足しているし、あの事故にローザを巻き込まなかった事だけは神に感謝してもしきれない。こんなに優しくて美しい恋人を、死者の国に連れて行くのは辛すぎるから。
「ねぇ、ローザ。君の幸せを願ってる。だから、俺のことを悔やむよりも、どうか、幸せになってほしい。いつか、もっともっとローザが生きて、生き抜いた時には、また一緒にいよう?」
 照れくさくなったのかギルは、耳まで赤くして顔をそむけようとした。が、それはローザに阻まれた。頬に添えられた指を払う事なくキスを受け入れて、何度も何度も繰り返す。これはきっと、ローザからのYesの返事だと信じて。

 カチ、カチ、カチリ!時計の針が3本共重なって、日付が変わる。それと同時に恋人達は互いの視界から跡形も無く消えた。