explosion



【いつでも自分だけは、その人の理想でありたかった。少なくとも物心ついた頃からそうやって、相手の希望に合わせて姿を変えるようにして生きてきたから、自分の結婚相手にも、そう接してきたつもりだった。皆が褒め、皆が認め、皆が喜んだ。だから、どうしてこうなったのか、何が原因だったのかも本人には判らない。】



 アイコは専業主婦で、2歳の子供がいる。夫のユキオは会社勤めで朝は早く夜遅い。激務に追われる彼が少しでも心安らぐように、と必死で家の事を切り盛りするのはアイコの仕事だった。
 3人で暮らしている3LDKのアパートは地方都市にはよくある造りで、古くもなく新築でもなく、家族構成を含めても極、ありふれたものだ。
 その日アイコはユキオに弁当を持たせて送り出し、ゴミを捨てに出て隣の奥さんと少し話をした。子供を残しているから、と早々に立ち話を切り上げて家に戻り、一人娘の朝食を作ってから優しく揺り起こした。
「ほら、カオリちゃん。起きて。朝ごはんを食べないと。」
 いつまでも起きない娘に閉口し、先に夫の朝食の後片付けと洗濯を済ませようと娘の眠る寝室を後にする。
 脱衣カゴの中身をひっくり返して仕分けし、洗濯機のスイッチを入れる。ピックアップした薄水色のバスタオルと娘の白いブラウスは後回し。ビニール袋に入れてよけておいた夫の作業着は手洗いだ。
 作業着を手洗いするのは嫌いではなかった。機械油がついている所為で他の洗濯物と一緒に洗うことができないから、洗面台で石鹸と洗濯板で洗う。白い泡が徐々に濁った色へ変わっていくのを見ながら丁寧に洗い、出来る限りの汚れを落としてから硬く絞っておく。
 次は掃除の時間。娘が食事をしている間にトイレや風呂の掃除を済ませておく。後追いが酷い娘が何かに夢中になっている間でないと細かい所の掃除はできない。
 掃除が一段落したところで洗濯機が止まる。空の脱衣カゴに水を含んで重たくなった衣類を取り出して、次は『白系』の衣類とタオルをセットし、スイッチを入れてからカゴを抱えてリビングへ。
 しわを伸ばしてハンガーにかけ、乾きがいいように長さ・厚みを考慮して並べ、そっくりそのままベランダへ持って出て等間隔に干していく。風で揺らいで飛んで行ってしまったり感覚が狭まってしまわないようにハンガーをピンチで留めておくことも忘れない。
 着替えとおむつの交換をしてやり、歯磨きをするように促して食器類を下げる。食べムラがある娘の為に試行錯誤してみるも、寝起きはいつも皿の上が酷い事になる。好みの味でなかったり、気分じゃない、となると途端に遊びだし、ロールパンは原型を留めず牛乳のコップに刺さっているし、カボチャのサラダは机に塗りたくられ、ウサギリンゴはテーブルの下、ウィンナーは2本あったのに半分ずつ食べて1本に合体する。目の前で見張っていてもこれは変わらなかったし、酷くすると一切食べてくれなくなるから、しつこく言うのは諦めた。
 幸いなのは歯磨きを嫌がらず、率先してやってくれること。尤も、仕上げ磨きは必要だけれど、激しい抵抗を見せて暴れまわる子もいるというから、随分とラクな方だ。
 テーブルの上の大惨事を片付けて食器を洗い終える頃には白物の洗濯が終わる。最後に夫の作業着をすすぎ・脱水のみ洗濯機に任せてようやく一度目のピークタイムが終わる。
 アイコは子供部屋で娘に本を読み聞かせながら、ベランダに揺れる洗濯物を見てみる。今日はよく晴れている。夏が近いせいか日差しは強く、そろそろ娘の外出時には帽子と日焼け止めがいるだろうと思い、夫の次の休みには子供用品店へ行こうと思いた。
「ねぇ、カオリちゃん。新しいお帽子、今度のパパのお休みに買いに行こうか?」
 カオリはアイコに背を向け、無言のままだ。何か別のおもちゃに熱中しているらしかった。

 昼は昼で毎日の事となると、メニューを考える事すら結構な面倒だ。アイコは少し手抜きをするつもりで昼のメニューをうどんと決め、少し柔らかく、薄味に仕上げて先に皿によそった。溶き卵の黄色と散らした葱の緑が綺麗な娘の丼は、食卓に並んだ途端に宙を舞った。どうやら気に入らなかったらしい。
 女の子は喋り出すのが早いと聞いていたのに、カオリはあまりしゃべる方ではなく、不満があると口よりも先に手が出るか癇癪を起こして泣く。皿に面倒なことに、食べムラ、気分屋とくるとほんの5分後に『やっぱり食べる』と言い出して泣き喚く事もある。
 なだめすかして自分の分のうどんをどうにか別の皿によそって娘の前に差し出し、後始末を始める。しゃがみこんで床を拭いていたアイコの頭に何かが乗った。うどんだ。手づかみではあるものの漸く食べ始めたと思えば、こうやって遊びだす。今日はアイコにうどんを乗せて、タイトルは『ママの帽子』だと笑っていた。
 慌てて止めさせ、窘めて食事を促すと、今度は素直に食べ始めた。好みの味だったのか文句を言わずにフォークを使い、時に手を使いながらではあるが黙々と食べ進めていくのを見て、今のうちに!とアイコは床と自身の頭に乗ったうどんを回収し、床を拭き清めた。
 昼からは機嫌よく遊んでいるカオリを子供部屋に残し、リビングと夫の寝室を掃除する。窓を開けて空気を入れ替え、掃除機をかけて床を磨き、窓を拭いてから最後に空間召集のスプレーを撒いておく。この時にリビングには極力物がない状態にしておいて、あとでカオリを移動させる。カオリに絵本を与えておいて、その間に子供部屋の掃除をするのだ。
 ユキオが独りで使っている寝室は、カオリが生まれる前まではアイコも一緒に眠っていた。しかし、お腹にアイコが宿り、徐々にお腹が大きくなるにつれユキオは『寝相が悪いから』と一緒に眠ることを拒否した。今後、夜泣き等で彼の睡眠を妨害するわけにもいかない、と思い快く承諾し、シングルベッドを一つ買って子供部屋に置いた。


 だって。
 なんで。
 どうして。



 昼寝、おやつ、宅配便の受け取り、カオリの夕飯。一緒にお風呂に入って水遊び、寝かしつけ。お気に入りのウサギの絵本を読んであげる。いつも娘が眠った後、アイコはユキオの食事を作る為にそっと布団から抜け出す。
 カチコチと秒針の音がうるさい時計は、ユキオが悪友から結婚祝いで貰った時計だ。デザインは嫌いじゃないが、うるさいのが玉に瑕。コチコチ、カチカチ。娘が寝てしまうと家の中は静かで、音楽鑑賞や映画鑑賞の趣味もなく、滅多とテレビも見ないアイコはその音が気になって仕方ない。
 今日の夕飯は何にしようか。冷蔵庫の中と相談して、チキンステーキ、トマトのスープを作り始める。
 トマト缶を鍋に開けて刻んだ玉ねぎとキャベツを入れ、火にかける。コンソメと水も足してコトコト、弱火で煮込んでいる間に、さっき寝室で見つけたアルバムをもう一度開いた。何ページか過ぎたころ、何枚かの写真がバラバラと落ちる。全体的に肌色の、自分の夫と知らない女の写真。
 キッチンから夕餉の香りが広まっていく。そろそろユキオが帰ってくる時間だ。



 アイ は専 主婦で、2 の子供がいる。夫 ユ オは会社  で朝は早く夜遅い。激務に追  る彼が少しでも   ぐように、と必死で の事 切り盛りする    コ 仕事だった。
 3人で暮らし   3LDKのアパ  は地方  には くある造  古くもなく 築でもなく、 族構 を めて 極、ありふれたものだ。
 その日  コはユキ  弁 を持 せ   出し、ゴミ 捨 に出て  奥さんと少し話をした。子供を残 て るから、と   立ち話を切    家 戻り、一人娘の朝   ってから優しく揺り起こした。
「   カオ  ゃん  き 。朝   を食べ   。」
 いつまでも起き   に閉口し、先に夫の朝    付けと洗     よ と  眠る寝室を後にする。
 脱   の中身を っくり返 て仕  し、洗濯機のスイ   入れる ピックアッ    水色のバスタオ   の白いブ ウ   回し。  ール袋に れてよけて いた夫 作業着は  いだ。
 作業  洗いする は  ではなかった  械油   ている所   の洗 物と一緒に洗うこ   きない ら、洗 台  鹸と  板で洗う。白い泡が徐々に濁った色へ     くのを見な  丁 に洗い、出来   の汚 を   てか 硬 絞っ  く。
 次は  の  。 が食事 ている間にト レや     を済  ておく。      娘が何かに夢中になっている でない   い所の  はできない。
   が一段落したところで  が止まる。      に を  で   なった  を取り出して、次は『  』の  とタオルをセットし、    を入れてから  を抱えて    へ。
   を伸ばして    にかけ、  がいいように  ・  を  して並べ、        ベランダへ持って出て   に干していく。 で揺らいで      しまったり  が    しまわないように    を   で   おくことも    。
   え  むつの  を てやり、   を    に      を下げる。食べ    る娘の為に  錯     も、寝 きは つも    酷    る。   味で   た 、    ない、となる  端に   し、     は  を留めず の  に刺さっ            ダ   塗   られ、      は    の下、ウ   ーは  あ   に     べ 1   する。目の   張っ     れは    か  し、 く      べてくれ    から、   く うの   た。
  い のは     が    先して       と。尤も、仕  磨きは    れど、  い抵抗  せて    る子も  と  から、 分 ラク 方だ。
 テ ブ   の     付    を い え 頃  白物   が  る。  に  作  を すぎ・  のみ  機       く   のピ  タ    わる。
 アイ      で に  読 聞  なが     ダ 揺    物を てみる。今  よ  れている。そろ  夏が いせ  日 し 強く、そろそ   外 時 は帽   焼け めがい   うと思い、  次の  には    へ  と思 た。
「ね   オリちゃん。新しい   、  のパパ    に  に    ?」
 カ リは   に背を向け、  の  だ。何か別の    に  して       。

 昼は で  の事とな     ューを   事す    面    イコは し   を     で昼 メ    う   決め、  柔  く、  に仕 げ   皿    た。  卵の     した  緑が 麗 娘  は、    んだ  に宙 舞  。どうや    ら    らしい。
   子   出すの   と い   のに、カオ  あ  し       く、不  あ と  りも  手 出    を起    く。皿に  な とに、食 ム    屋とく   んの5  に『やっぱ   る』  い出   き  事もある。
  だ       の分      う   の  よそ     に  出 、  末を始める。しゃが こ     いて   イ   に     た。   だ。    で    の   食べ始め     、        す      コ    を乗せて、       マの帽   と笑っ  た。
 慌  止     め 食   すと、 度   に   め   み   っ  か  を  ずにフォー   い、       がら   る      進       て、          は     頭    う     し、     め 。
 昼     よ       オ      に し     と  寝      。 を   空     え  除      を                 の   ー  い   。この     グ  極  が         て、            。            て、   に            。
   が          は、           は          い 。   、お に      、  に        に  ユキオ 『       』             。                   にも    、        、                     。





 ユキオは会社員で、小さな工場に努めている。高校を出て働くのが主流だった地元ではごく当たり前のことで、先生方一押しの地方都市の会社を紹介され、努めることになったのだ。
 田舎にいた時のユキオは所謂『いい子』で、聡かった。親や教師が何を望んでいるのか察知して、先回りしてそれを演じて見せた。自分を偽り、悲しくても笑い、目立たぬように、隠れないように右へ倣えでここまで来た。
 山と田んぼしか無い田舎を出て今の工場に勤め始めてからは、夜毎繁華街で遊ぶようになった。田舎では見られなかった深夜まで開いている店、オシャレなバーやクラブ、そして何より、女の子の毒々しいほどに美しい事に驚くと同時に、のめりこんでいった。
 今まで『いい子』でいた反動で爆発したかのように奔放にふるまった。頭を殴られたような強い衝撃、他の何も目に入らない程の眩暈、それから、今までの演技が霞んで白く消えていくようなショックを受けて、自分を解放した。
 キャバクラへ通い、時には風俗店を利用し、夜遅くまで遊び歩いた。飽きることなどなく、次から次へと目にするものが新鮮で、刺激的で、それがなんとも心地よかった。抑圧されていた『遊びたい』『自分を曝け出したい』という欲求は尽きることなく、酒・煙草・ジャンクフード・ゲーム・女…次々に手を出した。
 あまりの痴態に困り果てた上司の紹介で、30を目前にして渋々するに至ったものの、正直に言えば田舎でも見られた程度の女が相手だった上にまだ遊び足りないユキオは家庭に収まることに苛立ちを覚えた。
 結婚したアイコという名の地味な女は、見かけに華はないが性格は従順で温厚、家庭的でもありユキオの好みとは正反対ではあるが決して悪い女ではなかった。ただ、夜の街の女たちが忘れられなかった。
 アイコが『妊娠した』と口にした日から、ユキオは『残業』と嘘をつき、夜の街で知り合った女にのめりこみ、アイコを避けるようになった。ユキオにとっては家庭に入る・所帯を持つということが居心地が悪くて仕方がなかったのである。
 交際している女はそれを知ってか知らずか、結婚を仄めかすことはなく、遊びたいだけ遊ばせてくれ、所帯じみたことはしなかった。それがユキオには心地良く、甲斐甲斐しく世話を焼き、手作りの弁当まで持たせるアイコに余計に嫌悪感を持つようになった。
 寝室を分け、口八丁で生活費だけを渡し、自分の懐に残しておいた金を女の為に使い、今日も今日とて女と楽しんで帰ってきた。
 見慣れた家が近づくにつれて気分は悪くなり、いら立ちが募ったが仕方がない。ポケットの中から鍵を取り出しながらエレベーターを降りると、鼻に刺さる焦げた臭い。どこの家だ、と小さく舌打ちしつつマンションの廊下を進んでいけば、自分の家から臭うらしいことに気が付いた。
 アイコが料理を失敗するなんて珍しい、とは思ったが取り敢えず玄関の前で一呼吸おいて、良き父・良き夫の顔を作って玄関を開けると目の前にアイコが立っていた。
「うわっ、びっくりした!ただいま、今日も先に風呂に――」
 そう言いながらアイコの脇を通り抜け、廊下を進んでリビングへ向かう。
 どす、と衝撃と共にアイコが飛びついてくる。正直に言うと勘弁してほしかった、が、嫌悪感は表に出さない。ただ、何故だろうか妙に背中が痛い。いや――熱い?
「なんで。どうして。」
 背中越しに妻の声がする。ユキオは声が出せない。
「私、懸命にやってきたのに。貴方が望むとおりに世話を焼いて、結婚して、子供も産んだ。働きたいと言ったとき、貴方は猛反対したから家にいたのに。産んでくれというから子供も産んだのに。家庭に入ったのだから遊びに行くなんてありえない、というから夜遊びもやめて友達も切ったのに。なんでなの。」
 脚に力が入らなず思うように動けないことで漸く、ユキオは自分が刺されたことに気が付いた。アイコが脱力しているのを見てどうにか逃げ出そうと前へ転がると簡単に包丁は抜けた。磨かれたフローリングにはぼたぼたと血が垂れていく、その赤が目に痛い。否、それよりも早く、逃げよう。
 這いずるようにしてリビングを通り抜けようとした時に目に入ったのは、娘の死体だった。白地にピンクのウサギ柄のパジャマが真っ赤に染まっていた。顔は腫れ上がり一瞬、本当に自分の娘だろうかと疑うほどに悲惨な姿だ。
「子供なんか産みたくなかったのに。仕事して、遊んで、適当に結婚出来ればそれでよかったのに。」
 背後からアイコの声がする。喉の奥からひゅぅっとおかしな声を出しながらユキオは、失禁していた。
「あーしなさい、こーしなさい。言う通りにしてきたのに。お母さんの言う通り、お父さんの言う通り、先生の言う通り、彼氏の言う通り、上司の言う通り、あなたの言う通り、保健師の言う通り、隣の奥さんの言う通り、カオリの言う通り、ちゃああああああああんとやってきたのに。」
 ユキオの尻の辺りを踏みつけたアイコはそのまま腰を下ろし、ユキオの上にまたがる格好になると、何やらぶつぶつと言いながら何度も何度も、ユキオの背中に包丁を突き刺し始めた。
 ユキオは痛みと寒気を覚えながら、どうしてこうなったのか、と考えつつ、どうにか逃げ出そうと体をよじるも痛みで思うように体が動かない。徐々に痛みは麻痺し、やがて眠気に襲われる。視界の端に映る娘の目がこちらを見ているように思えた。
 ユキオの上に乗っていたはずのアイコは、おかしな声を出した後床に倒れこんだ。首だけをどうにか動かしてみれば首から異常な出血があり、どうやら首を掻き切ったらしい。何度か体が跳ねた。
 もう目も開かなくなってきて、眠気に抗うことが難しいながらも、どうにか刺された時に傍に落ちたらしい自分の携帯を掴んだユキオは、誰でもいい、助けを!と電話をかける。繋がったのは、件の女だ。
『もしもーし?ゆーくんどしたのー?』
「…たすけ、て…ヨ、メに……刺さ、れ…死ぬ…」
『えー。そーゆーのいいから。めんどくさい事に巻き込まないでってー。あり得ないから!』
 プツン。
 いとも簡単に電話は途切れ、同時にユキオの意識も途切れた。