甘い毒。  12

 私はコンビニの前に申し訳程度に置かれた灰皿の前に突っ立っていた。目の前にあるのは駐車スペース、横断歩道の伸びる片道2車線の道路を挟んで、古本屋とネットカフェ。私が用事があるのはネットカフェの方だ。
 何本目かの煙草を灰皿に投げ落としてスマホの時計を見てみる。時間は0時30分になろうとしていた。そろそろ、だと思う。新しい煙草に火をつけることはせずにスマホもバッグへ仕舞う。
 仲のよさげな人影が2つ、店と塀の隙間にある通用口から並んで出てきた。私は横断歩道へ向けて歩き出す。人影が分かれ、片割れは自転車に乗って去っていった。私の標的はダラダラと歩くもう一人の方。
「諒っ!」
 背後から呼びつけるとびくんっ、と大きく肩が跳ねた後ゆっくりと、ためらいがちに標的は振り返った。私が切ってあげたヘアスタイルはあまり変わっていない。服も、ウチにいた頃に着ていたカットソーとコートだ。でも、そんな細部を気にせずとも、シルエットだけでも間違うはずがない、私はもう、諒の事を忘れられそうにないのだから。
「……葉月、さん……」
「ちょっと顔貸して。」
 嗚呼、私はどこまでも可愛くない。なんでこんな言い方しかできないんだろう。悔やんでも悔やみきれない。一度言ってしまった言葉は取り消せないのだから。
 私の言葉に大人しく従う諒と並んで、すぐ近くにある公園まで歩く。気まずい沈黙。時折視線を感じたのは、何か彼にも思うところや言いたいことがあるのだろうと思って今は触れずにおいておく。
 ほんの2、3分の距離にある小さな公園につくと、街灯の下にあるベンチに腰を下ろした。彼に隣を促すと、一つ頷いて微妙な距離を開けて座る。
「私が来たの……意外だった?」
「んー……ちょっとだけ。でも、その格好の方が意外かも。」
「勝負服だよ、気にすんな。」
「何の勝負?」
 随分長い事会ってない気がしたけれど、彼が私と暮らしたのはたったの1か月弱で、家を出て行ってからもその位。それでも、言葉はスムーズに飛び出してリビングでくだらないテレビ番組を見ていたあの時と同じ感覚で話すことができた。
 但し、軽口はここまで。私は本題に入る。
「……諒を、逃がさないための。なんで……出て行ったの?」
 また、沈黙が訪れた。私と彼と、二人きりの深夜の公園は彼がいなくなった後の私のマンションと同じように冷え切った空気が流れて、しんと静まり返っている。住宅街から離れているせいか時折車が通る以外には何の音もしなかった。
 耐えきれず私は言葉を続ける。
「私、まさか出ていくとは思って無くて。待ってたんだよ。勿論……出ていくとかは、諒の勝手なんだけど。ただ……なんか一言、言ってくれてもいいじゃない。今日来たのは、それを話したかったから。」
「……どうやって見つけたの?」
 諒が『降参!』とおどけて見せる。私もまさか、こうなるとは思っていなかった。でも振り返ればヒントはそこら中にごろごろしていた。
「この間、職場でちょっとあって、神山さんと話す機会が多かったの。その時にまさか、とは思ったんだ。年の離れた弟がいて、家出してて……って。確信したのはその後。その『弟』が諒が消えたのと同時期に転がり込んできたこととか、甘党だって話、神山さんはお父さん似だけど弟と妹はお母さん似だって訊いて……で、ついでにコレ……」
 私はバッグの中からプリントアウトした用紙を彼に差し出す。印刷していたのは、地元新聞のお悔やみ欄。まさかと思って探したのは『神山葉月 お悔やみ』で、すぐに必要な情報は出てきた。
「もう一つ、今SNSとかで話題だけど、間抜けなYoutuberがブログや掲示板に不正アクセスして炎上してんの。手口の解説もしてたけど、基本的には途方もない時間がかかるよね。で、神山さんに聞いた話と合わせると……諒はネットカフェでバイトしてて、たまたまこの掲示板の情報が見れたんじゃないか、って考えたの。調べてみたら、ネットカフェは防犯カメラもあるけど、お店によってはこういう犯罪に近い事をやってないかとか、未成年のアダルト利用とかログを採ってるところがあるって話を見つけてさ。」
 諒の顔色を伺うけれど、如何せん仄暗い夜中の公園じゃあ光量が足りない。ただ、話すにつれて表情は張り付いたようなニコニコ顔から少し切なそうな苦笑いに変わっていった。
「うん、ほぼ100%正解。葉月さんてやっぱ頭いいんだ。」
「偶然だよ。多分おバカYoutuberのおかげだわ。」
「でもまぁ、安直に兄貴のとこに入り浸ってたらそりゃばれるか。」
「そりゃそうでしょ。」
 答え合わせが済むとまた、二人の間に言葉はなくなった。私はもう、次の話のタネを持ち合わせていない。膝の上に置いたボストンバッグをぐっと握りしめて困り果てていると今度は諒から話を振られる。
「葉月さん、その恰好どうしたの?訊いてもいい?」
 困る。訊かれるのは困ります。だってまさか『告白するための勝負服』とは言えない。
「……あ、……アラサーにもなって、この格好は痛いって言いたいの?」
 通販で買った服は柄にもない裾フリルのワンピース。本来ひざ丈のはずが身長の所為でミニに見える。ライダースジャケットと併せた所為で妙にパンクな印象になってはいるけども、流石にそんな意図はない。因みにジャケットに隠れているけど袖はレース。
「違うよ!今日はほら……メイクもしてるし、合コンとかイベントとか……デート、とか……」
 悲しそうな顔になりながら言葉を紡ぐ諒は見るからに小さくなっていって、まるで私がモテるみたいな扱いをする。ほんとなんなんだよ、と思わなくもない。私が好きだと気付いた時には距離を置いて、終いにはいなくなったくせに。だから、ストレートには言ってやりたくない。
「……デートなら今してるじゃん。」
 ぼそっと、吐き捨てるように言った後でどうにも恥ずかしくなって苦し紛れに私は煙草を吸おうとシガレットケースを取り出す。諒が私の手元を見ているのが目を逸らしていてもわかるけど、それを無視して一連の動作で火をつけ―――
 そこで、唇を奪われた。火をつける前の煙草が口の端から抜き取られ彼の指に収まり、驚いて振り向いた私の唇と彼の唇が重なる。目を閉じるのも忘れていたけれど、彼の手が私の頬に触れ一度唇が離れた後、至近距離で見つめあう。視線が絡んだ後、意地を張るのをやめた私は彼に求められるままもう一度、今度は目を伏せて口付けを交わした。
 いつかこのまま溶けて一つにくっついちゃうんじゃないか、もしかしたらくっついちゃったのかも、なんて馬鹿なことを考えるほど長い時間、時折角度を変えながら何度も重ねあう。離れていた時間なんて短かったはずなのに、諒もまた寂しかったのかな、なんて自惚れてみる。
 そっと体温が離れていったところで目を開けると真っ赤な顔をした諒がいつになくセクシーな、まるで致してるときの、真剣な表情で口を開く。
「葉月さん。オレが出てったのはさ、このまま葉月さんだけ働かせてヒモってどうなのかなーって自分の都合なんだ。馬鹿だけど、男だし、せめて自分の食い扶持だけでも稼げないとって、仕事しようって思ったんだよ。葉月さんの為に。」
 こんな都合のいいことがあるわけない。私はきっとこの後車に轢かれて死ぬのかもしれない。私はいつも、何も持っていない状態に追い込まれるのがデフォルトなのに。手に、入れてしまった。
「葉月さん、これからも一緒にいてくれる?」
「……だめ、って言ったら諦めんの?」
「やだ!」
「じゃあ……ウチおいでよ。――帰ろう?」
 私は彼の指先から先ほど取られた煙草を奪い返して火をつけ、帰り支度をするとベンチからさっさと立ち上がる。恥ずかしそうにマフラーに顔を埋めた彼は立ち上がり、うつむいたまま私の手を握る。右手に煙草、左手に諒。終電はないだろうから、大通りでタクシーを拾わなくちゃいけない。私たちは歩き出した。



 タクシーを降りて家に戻ると、諒はまず風呂に。私は片付けてあった彼の分のスマホを取り出して彼の指定席に置いておく。スウェットを脱衣所に届けてからちょっと思いついて、メッセージアプリを開く。彼に充ててメッセージを送信してから、着替えを済ませメイク落としシートで顔をガシガシ拭いた。
 彼の好きな、甘いココアを淹れよう。今夜は私も飲みたい気分。二人分のココアを練って、マグに注いだ。真夜中のこの部屋も、彼とならもう寂しくない。
「あっ、ココア!」
「ちゃんと諒の分もあるから。何時だと思ってんの、大きい声出さないでよ。近所迷惑。」
 風呂上がりの彼が飛びついてくるのをかわしながらダイニングテーブルに二人分のマグを並べた。彼の為に買ったクッキーはすっかり湿気てしまっていたから、お茶うけになるものは何もなかったけれど仕方ない。
 向かい合ってマグを傾け、他愛ない話をすることの幸せを改めてかみしめながら甘い、糖分過多なココアを飲み干し、洗面台でメイクを残らず洗い流して寝室へ向かうと――諒が泣きそうな顔をしていた。コップを洗ってからスマホを持って寝室へ移動した直後、といったところ。ドアの隙間からひっそりとのぞき込めばどうやら私が送ったメッセージに気が付いたらしい。
 私は寝室へ行くのをやめてリビングで煙草に火をつける。煙草の匂いと音で察してくれないかなー、と敢えてドタバタと音を立てながらリモコンや灰皿の中身を片付けていると諒が『寝ないの?』と声をかけてきた。
 今日はなんとなく、二人で同じ布団に入った。私のシングルのベッドはやはり狭い。その分、互いが近い。逃げ場がない私がガチガチに固まっていると彼は口を開いた。
「ねぇ、葉月さん。実はオレたち、もっと前に会ってたの知ってた?」
「えっ!?いつ?どこで?」
「葉月さんが新卒で今の会社に入った年。オレ、兄貴に届け物があったんだよ。で、会社……本社って言ってるのかな?あそこまで行ったの。オレまだその時小学生でさ。あんな雑居ビルが並んでるところなんか普段用事ないじゃん、ビルの前でどうしていいのかわかんなくなってさー……」
 思い出した。私が仕事を始めて間もない夏の日のことだ。
 まだ神山さんと二人で走り回ってて、確か近くの文具卸に発注したラッピング用の資材を受け取りに出かけた帰りだ。分厚い大小のファイルが入ったトートバッグを持った男の子が本社の前で立ち尽くしてて、私は入り口横に据えつけられた灰皿の前で一服してた。煙草を吸い終えても、困り顔の男の子は動く気配がなかったから話しかけて、神山さんに用事があるというからそのまま連れて入ったんだ。
「あの時、葉月さんがすごくかっこよかったんだ。背が高くて、シンプルな白いシャツと束ねた髪が似合ってて、めちゃくちゃ仕事できる系の大人って感じで。その時からずっと気になってたんだ。」
 都合がよすぎる展開を鵜呑みにできるほど少女趣味でもないけれど、なんだかそれは一種の運命を感じ得ない話だった。なにせ私の中にも、その記憶は薄れてはいたものの、確かに残っていたから。
 浅黒く日焼けした夏休みの少年、といった風貌の彼は無事にトートバッグを神山さんに渡した後、私にも丁寧に御礼を良い、どんな仕事をしているのか、名前は何か、等少し話した記憶があった。
「んー……私は覚えてない。」
「うぉっ、マジで?ちょっとショックかも……」
「残念だったね。さ、寝よ。私仕事の後動き回ったからもうしんどい……」
 壁の方に体を向けて顔を隠すように毛布をかぶった。背中越しに何やら文句を言う声が聞こえていたけど聞かなかったことにしようと思う。
 しばらくして文句が聞こえなくなった頃、ふと気が付けば彼は眠っていた。あどけない顔は確かに記憶の中の少年に似ていた。あの少年は確かに言ったのだ。
【次会ったら、オレとケッコンしてよ!おねーさん美人だから。でもオレ、サラリーマンになりたくないから、働いてるひととケッコンする!】
 働こうという意思が出たのはいいことだけど、まさか本当に再会して一緒に暮らす関係になるとは思ってもみなかった。子供の戯言だと思って適当にいなしながら私は確か【ハタチになってから出直しなさい】と答えたはず。諒が二十歳になって此処へ転がり込んだのも、何かの因果なのだろうか。
 考えても答えは出るはずがない。互いに忘れているものも多くあるはずだし、今更それをほじくり出そうとは思わない。
 私にとって今、大切なのは彼が隣で寝息を立てていること。自然と緩む口元を隠しながら眺め、体勢を180度変えて彼の方に体ごと向いて眠る姿勢に入る。


 私は何も持っていない。特別なものは何も。唸る程の金銀財宝に囲まれたお金持ちでもなければ、立派な結婚式やSNS映えするスイーツやコスメにも興味はない。
 ただ、本当に欲しかった『幸せな生活』だけは、彼といれば手に入れることができそうだ。


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